2016年にデビューしたステンレスボウルのconteシリーズ。

このconteをしつこく、追っていこう、というのがこのコラムです。

早速ですが、このconte。

そもそもの事の起こりは一菱金属株式会社という金属加工のメーカーの次男のひろ坊。

このひろ坊は、会社の仕事以外に、アート活動なんてこともしていたんです。会社とは別にものづくりをしているうちに、ヒノさん(あ、わたしです)と出会ったのでした。ヒノさんはもともと、人が働く現場を見るのが大好きで、工場見学を何よりの楽しみにしている人です。20年以上、各地の作る現場を見ているヒノさんでも、「燕のものづくり」は、謎の一つだったのです。

 

上越新幹線の燕三条の駅。 改札を出ると、金属加工関連各社のショーケースがあり、「金属加工の街に来た」気分が盛り上がる。

そこで、顔見知りになっただけなのに、図々しくひろ坊の会社を見学するために訪ねました。ひろ坊の会社は<プレス>という機械がたくさんあって、職人さんが黙々と、機械を動かし、働いていました。しかし、ここで出来上がったものは商品の最終形ではなく、「途中」でした。でも、この「途中」が抜けたら、モノはできません。「途中」がつなぎ合わさって、モノになっていくわけです。

 

でも、一回やそこら訪問しただけでは、「途中」が「モノ」になる事は、なかなか理解できません。それ以降も、なんとなく燕が気になり、その後も、ヒノさんは機会があれば、燕に足を向けました。

 

出張の楽しみは食の楽しみ。ひろ坊の工場裏の杭州飯店は、背脂ラーメンの洗礼といっても良いパンチの効き方。寒い新潟で、出前の最中に冷めないように、油で膜を張ったのがきっかけだとか。

何度目かの訪問のお疲れさんの一杯を飲んでいる時、ヒノさんは「ステンレスのキッチンボウルって、あれ以上のモノはできないのかな」とつぶやきました。

「あれ以上」というのは、

その1、いわゆるキッチンボウルの定型です。機能から逆算して、できた、いわゆる<アノニマスデザイン(※)>タイプのモノ。

その2、デザインの歴史の上で、確固たる地位を確立しているボウル。ちなみに、ひろ坊のおうちも、ヒノさんのおうちにもありました。

その3、料理家さんがデザインしたボウル。

と、分けましたが、その3に関しては、何人かの方がどうにか<もっと使いやすいモノ>と思案して、新しいモノを考えています。

とはいえ、かなり飽和状態のような感じもします。でも、もっといいモノが生まれる余地はないのだろうか…と、呟いたのでした。

移動好きのヒノさんはそのあと、「燕の往復だけだと、もったいない気がするから」と、なぜか、燕から京都行きの夜行バスに乗って去って行ったのでした。

 

わざわざ、新潟まで来たのに、そのまま帰るのがもったいなくなって、なぜか京都へ。この辺りがヒノさんの思考のオカシナところ。

実は、ヒノさん。この話、酔ったついでに忘れていたのです。が、まさに忘れた頃、ひろ坊から、<ボウルを作れそうです>と、連絡が来たのです。

ひろ坊のアーティスト精神が、「途中」ではなく、「モノ」を作りたくなったのです。しかし、会社のプレスの機械では「途中」しか出来ません。でも、ひろ坊は「途中がいくつも繋がってモノが出来る事こそ燕」と、思っています。自分で1から10まで作って完成させるなんてこと、最初から、考えてないのです。

でも、ひろ坊は自分ではデザインをせず、人に頼みたい、といいます。(デザイナーの役割はこの次の会の話題になります)「デザイナーと仕事をする」。これもまた、遠回りのようで、賢い選択と言えるのです。

 

商品を製造する度に排出されるスクラップを使って作品にすることが条件の企画展。使ったのはステンレス製の目皿の穴をあける際に金型で打ち抜いた小さい丸板。三条出身の“世界の巨人”をモチーフに、燕のスクラップ材で出来たベルトを腰に巻き、顔の部分はパンチングのごとく打ち抜かれた、燕三条ご当地顔出しパネル作品リングイン!(ひろ坊) グラフィック協力:高橋トオル

相談されたヒノさんは、実はデザイナーのことをいいように思っていませんでした。作れる人(職人さんとか作家さん)は自分がデザインすればいい、と常々思っていました。でも、それは、一から十まで、自分で作る人であって、燕のように「途中」の積み重ねが必要な場合は、やはり、客観的な立場で、かたちを考える人が必要でした。

相談に乗るうちに、一人の女性デザイナーの顔が浮かびました。小野里奈さん(以降りんちゃん)です。デザイナーはかたちだけでなく、素材の特性や、工場の得意分野やくせも把握しないといけません。それらに柔軟に対応できる人、ということで、デザイナー不信のヒノさんも、とても信頼しているデザイナーでした。大学卒業後、建築にも従事していた、というバックグラウンドも理由の一つです。建築という、角度が1度、柱が一本違えば、建物が傾いてしまうシビアな世界を体験していた彼女なら、燕の何トン(!)という機械を使うモノのデザインもできると思ったのでした。

一方、ひろ坊は、「デザインを頼むなら、自分で料理をする人」と決めていました。ためしに使うのではなく、自分の日々の生活で使う人でないと、本当に使いやすいモノはできない、と思ったのでした。実は、ひろ坊も結構まめに料理をする方なので、尚更思ったのでした。

ノグチくんとりんちゃん

と、いうことで、りんちゃんに頼んでみよう、と決まり、ヒノさんが交渉する時、実は、りんちゃんではなく、りんちゃんの夫である、ノグチくんに、まず、連絡を取りました。

「ノグチくん、わたしはりんちゃんがデザインする、ステンレスの道具が見てみたいと思っています」と。

ノグチくんからの返事は「僕も見てみたい」という言葉でした。

こうして、りんちゃん本人のあずかり知らぬところで、「conte」は、産声をあげたのでした。

 

 

(※)アノニマスデザイン

無名性のデザイン。工業デザイナーの柳宗理氏が好んだことで、世に知らしめられた言葉。たとえば野球のボウルや理化学ガラスのビーカーなど、必然から生まれた、デザイナーを冠しないデザイン。