さて、二回にわたり、conteのお母さんたるりんちゃん、お父さんたるひろ坊についてのこぼれ話を記しました。今回から、やっとこさ、conteがどうやって誕生したかの話です。

 

ひろ坊と「りんちゃんに頼もう」

参照

第1回

という話に(ノグチくん経由で)なった時、りんちゃん は慎重でした。「まずは現場を見にいかせてください」と。そう、りんちゃんにとっては“現場“と“仕事をする人“が、重要なのです。“何を作るか“も、もちろん重要ですが、本人はいいものは“現場“から生まれる、と思っています。どの素材を使うか、どんなアイテムを作るか、あとは製造上の制約(素材や工場の持っている機械によって、できない作業もありますから)を確認して、それだけで図面に取り掛かれるデザイナーも多いでしょう。でも、りんちゃんは「現場を見ないと何も出てこない」と、あっけらかんというのです。りんちゃんは自分の表現したいデザインを主張するのではなく、「使い手にとって」、そして「工場にとって良いもの」をつくり手と一緒に考えたい、と思う人なのでした。では、と燕に向かいました。

 

ひろ坊のおうちの工場は“プレス“に特化しています。何トンという重りが降りてかたちをつくる機械がメインですが、それだけでなく、ステンレスどうしを溶接やビス留め等で接合する、磨く、油を落とす、など20ほどの、ごつい機械があります。

 

△ ひろ坊の工房1(撮影:ツムジグラフィカ)

△ ひろ坊の工房2(撮影:にいがた百年物語)

一つの機械だけでも場所も取りますし、気軽に買える値段ではありません。しかし、こんなにたくさんの機械があっても、ものを作るには、足りないのです。より良い品を作るために、燕の工場は細かく細かく、分かれていて、それぞれの一工程づつのプロフェッショナルがいるのです。例え、その作業ができる機械を持っていても、「自分のところでやるより、その技術に長けた工場があったら、そこに回した方が良い」、と、自分のところで全部、済ませようとせず、作業ごとに人にバトンタッチする。それが、燕のやり方なのです。

 

りんちゃんは、ひろ坊のおうちの工場を見て「何かできそう」という、手応えを得たようです。本当は、りんちゃんというデザイナーとひろ坊の工場だけで、モノは出来上がりそうですが、ヒノさんは“モノを売る立場の先輩”として、混ぜてもらうことになり、本格的にスタートすることになりました。

 

△ ひろ坊の工房3

△ ひろ坊の工房での最初の工場見学。りんちゃんも興味津々。

それから数ヶ月後、「燕で何ができるかを確認するために、工場を回ってみましょう」と、ひろ坊は、りんちゃんとヒノさんに、工場見学ツアーを計画してくれました。ひろ坊は、「街全体で一つの工場」と言われる、燕の細かく別れたジグゾーパズルのピースの様に一作業・一工場という感じの、様々なプロフェッショナルの技術を持つ工場に連絡を取り、当日のコースを決めました。

 

2015年の夏のある日、最初に連れて行ってくれた工場は、スピニングという技術を持った工場でした。ひろ坊の工場は外側と内側の二つの金型でかたちづくりますが、スピニングは内側の型に沿うようにヘラを当てていくことで、かたちを作っていきます。回転しながらのこの作業で生じる摩擦熱を抑えるために使う油が飛んだ工場の床はツルツル。りんちゃんはペンギン歩きで慎重に歩きながら、工場の作業と、工場で作ったもの、そして、加工途中のものを興味深く眺めていました。りんちゃんにとっては、“加工途中”のものはとても重要です。完成品にはないヒントが隠されているかもしれませんから。この時も、何か、ピンときたようでした。

 

△スピニングのプロ・片岡社長。流石にツルツルの床の歩き方も危なげないです

次に行ったのは、“研磨”屋さんでした。ステンレスの加工にとって“磨く”作業はとても大切です。研磨の方法は色々あり、その数だけ仕上げ方が変わります。今回は、バレル研磨といって、年末福引のガラポンのような機械に、研磨を助ける石、研磨剤、水が入っており、そこに磨きたいものを入れて、回転させていくと、摩擦で磨かれていく、というものです。ひろ坊によると、この中に入っている研磨石、研磨材、研磨助剤の種類や配合等は処理目的(目指す仕上り)によって異なるようです。磨く、といっても、ピカピカにするだけではなく、艶消し加工も磨きの一種なのです。そして、この艶の加減も、工場によって違うといいます。こんな風に細かい違いを選べるのも“分業の街・燕”だからでしょう。

 

(撮影:東商技研工業)

ここでちょっと休憩がてら、燕市産業史料館に立ち寄りました。燕の歴史を知って置くことは仕事をする上で、重要です。単にお勉強、というわけではなく、興味深い事実やモノも見られるので、何度でも行きたい場所です。

 

△燕市産業史料館では、不思議な展示もあり、興味津々。

△バレル研磨槽の元祖?も見られます。

お昼を食べて、午後は“つっきり”屋さんに行きました。かたちづくったものの縁を切る、専門職です。「切る専門職かぁ」と、手作業でどんどん仕事をこなしていく職人さんに、二人は圧倒されました。このつっきり屋さんは、東京の人が苦手のようで、りんちゃんとヒノさんのことをあまり見てくれません。まあ、最初はそんなものか、と、二人は興味深く、仕事を見せてもらい、次に向かいました。

 

 

△「つっきり」の小林さん。この写真は、仲良くなってからのもの。最初はよそよそしくて、こんな笑顔はみられませんでした。(撮影:野口忠典)

つぎはもう一箇所、研磨屋さんに行きました。今度は“電解研磨”です。特殊な酸性の液に電気を流すことで、金属の凸面を溶かして平らにしていくそうです。最初の“ガラポン”とは、仕上げもずいぶん違いました。

 

それぞれの工場は家族のところもあれば、10人以上の工場もありましたが、どこも一つの仕事を受ける単位は数十個、ということはまず、ありません。少なくても数百以上でした。ある程度の数をまとめることで、作業効率をよくする。仕事のたびに、道具を変えたりするので、数がまとまった方が効率は良いのです。そして効率を良くすることで、工賃を下げ、作業がいくつの工場を跨いでも、買いやすい値段にしていく。それが燕なのだ、ということが、1日を通して、解ってきました。
「疲れたでしょう。でも、まだまだ、他にもいろんな工程があるんですよ」と、ひろ坊は帰り道、二人に言いました。燕の入り口に立ったばかり、という思いが、二人によぎりました。

 

さて、工場は大体が、17時半頃には終わります。(バトンリレーで作っている為、工場同士は就業時間をそこそこ合わせてありますし、休日も商工会議所発行の産業カレンダーでほぼ共通しています。)東京までは新幹線で1時間半。日帰りでも呑んでいけます。駅の近くの居酒屋さんに行き、今日のお疲れさんとともに、このプロジェクトの進め方を考えることにしました。

 

△ これからの門出を祝って、豪勢に打ち上げしました。

次回は「conte」という名前が誕生するところからお話しいたします。